沿線人口増加、横浜駅地下線延伸、架線電圧昇圧を見据え旧型車の代替として1962年に登場した。従来の車両より車両長を延長し、19m級の大型車体となった。これまで製造されたカルダン駆動車は全電動車であったが、製造コストを抑えるべく、付随車も組み込まれることとなる。
複電圧構造の2000形は製造当初Mc-Tc編成を基本とし、さらにMcやTを増結・開放することにより1両単位の柔軟な運用が可能となった。制御方式は超多段のバーニヤ抵抗制御が用いられ、比較的滑らかな加速となり、加速性能も向上させている。起動加速度はM・T同数編成で2.5km/h/s、2M1T編成で3.3km/h/sであった。
また1971年以降の新造車は冷房が搭載され、後に非搭載車の冷房改造も進められている。このように実用的な設計となった2000形は、普通から特急まで充当され、高度経済成長期の横藤電車を支えた。
しかし1990年代後半に入ると、後継車の増備から活躍の場は徐々に狭まっていき、晩年はラッシュ時の準急や日中の普通、寒川線での運用がほとんどとなった。2016年に全廃となった。
(上)登場時
(中)1971年には冷房搭載車も登場
(下)新塗装となった2000形
各駅停車の速度向上とラッシュ時の乗降時間短縮を狙って1964年に登場した。1962年から増備が続いていた2000形によって旧型車は淘汰が進んでいたが、依然と普通列車は旧型車天国という状態であった。そこで2000形とは違い、2両固定編成でも高加速に対応できるよう全電動車で新造された。
コスト削減と乗り心地向上を狙って、台車はエコノミカルトラックが採用された。車体は乗降時間短縮のため4扉となっている。しかし3000形は製造コストが2000形に比べ高くつくため、導入は思うように進まなかった。
それでも、本系列は導入後にラッシュピーク時の原宿花園~弘明寺間の普通に集中的に投入され、その威力を発揮した。また普通のみならず、準急などの優等運用もこなし、2011年まで活躍した。
(上)登場時
(中)1970年代後半から冷房車化が進められた
(下)新塗装となった3000形
昇圧を前にデワ800形群の代替として登場した事業用の電動有蓋貨車。400形を種車とし、救援車として活用できるよう客室内の椅子の除去などの改造が行われた。横浜方の車両には狭隘な地下線内での脱線事故にも対応するべく、前面に大型の貫通扉が設けられている。なお、平塚方は係員の詰所として原型のまま残された。
昇圧を前に1921年から活躍してきたデト900形群の代替として登場した事業用の電動無蓋貨車。400形を種車とし、車両中央部の構体を除去して荷台が設けられた。
デワ820形の代替として登場した救援用の制御有蓋貨車。デト930形と同じく、初期高性能車である1500形Iの廃品を利用して製造された。デワ820形とは違い、動力装置を持たなかったため、自力で走行することは出来なかった。戸塚車両工場と中島検車区に1両ずつ配置されていたが、2010年に廃車となり、解体された。